WORLD HERITAGE
アスマラ:アフリカのモダニズム都市
エリトリアのアスマラは、イタリア植民地期の都市計画とモダニズム建築が高原の地形・地域社会へ適応して残る都市遺産です。人種隔離、エリトリア人労働、独立後の再解釈と現役都市保全を解説します。

ESSENTIAL FACTS
基本情報と登録基準
- 登録年
- 2017年
- 登録基準
- (2)・(4)
- 種類
- 文化遺産
- 国・地域
- エリトリア
WHY IT MATTERS
この世界遺産について
アスマラ:アフリカのモダニズム都市とは
エリトリアの首都アスマラは、標高2,000mを超える高原にある都市です。2017年に登録基準(ii)(iv)で世界遺産となり、登録面積は481haです。1893〜1941年の段階的な都市計画による地区に加え、先住の住民が形成したアルバテ・アスマラとアバシャウェルの非計画的な街区も含みます。
街路・公共建築・住宅地区の構成
直交・放射状街路、広場、映画館、宗教施設、行政・商業建築、工場、住宅地区が高原都市を構成します。1935年以降にはイタリア合理主義の建築が大規模に建設されました。インペロ、ローマなどの映画館、学校、ガレージ、市場、モスクの広場は、記念的な建築と都市の日常生活が重なる場所です。
植民地計画とエリトリア人の技術
アスマラは1890年代からイタリア植民地権力の軍事拠点として発展しました。地区の用途分けには行政上の機能だけでなく人種隔離の目的もありました。一方、モダニズムの建築を実現する際には、地域の建物の形、構法、材料、技能、労働が大きく取り入れられました。欧州の様式をそのまま移した都市ではなく、支配の構造と地域の技術がともに刻まれています。
登録基準と都市の再解釈
基準(ii)は、アフリカの環境へ都市計画の思想を移し、地元の形態や建設技術と結びつけた点を評価します。基準(iv)は、格子状・放射状の街路、地形を生かした眺望、機能と人種隔離のための地区分けが、20世紀初頭の都市計画を植民地首都に適用した顕著な例であることを示します。
UNESCOの価値説明では、植民地の痕跡をもつ都市がエリトリアのアイデンティティに取り込まれ、自決を求める闘争の中で重要な意味を得たことも評価されています。建築の保存は、植民地統治の歴史と、その後に住民が与えた意味の双方に関わります。
現役都市を保全する課題
UNESCOの保全説明は、一部建物の維持管理不足や規模・性格の合わない建設を課題に挙げています。2001年に歴史地区の範囲と新築の停止措置が設けられたことは、街区の構成を守る契機となりました。保全の対象は個々の外観だけでなく、人間的な規模の街路や広場を含む都市全体であり、維持修繕、修復、再活用と都市計画の調整が重視されています。
世界遺産検定で押さえるポイント
アスマラはエリトリアの首都で、2017年登録、基準(ii)(iv)の文化遺産です。イタリア植民地期の都市計画と合理主義建築が、地域の技術・材料・労働と結びつきました。格子状と放射状の街路、地区分離、独立へ向かう過程での都市の再解釈が特徴です。
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世界遺産検定で押さえるポイント
- アスマラはエリトリアの首都で、2017年登録、基準(ii)(iv)の文化遺産です。
- イタリア植民地期の都市計画と合理主義建築が、地域の技術・材料・労働と結びつきました。
- 格子状と放射状の街路、地区分離、独立へ向かう過程での都市の再解釈が特徴です。
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