古代高句麗王国の首都と古墳群の概要
「古代高句麗王国の首都と古墳群」は、中国の吉林省集安市と遼寧省桓仁県にまたがる、古代国家・高句麗の遺跡群です。2004年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。高句麗(紀元前37年~668年)は、かつて中国東北部から朝鮮半島北部にかけて栄えた強力な王国で、この遺産は高句麗の初期から中期にかけての歴史と文化を今に伝えています。
この世界遺産は、主に3つの都城遺跡と40基の古墳で構成されています。特に、巨大な積石塚である「将軍塚」や、高句麗の歴史を刻んだ「好太王碑」は有名です。なお、北朝鮮にも「高句麗古墳群」という名称の世界遺産がありますが、本記事で解説するのは中国にある遺産群です。
世界遺産登録基準
この遺産は、以下の5つの登録基準を満たしたことが評価されました。
- (i) 人類の創造的才能を表現する傑作である。
- (ii) 建築や技術、記念碑、都市計画、景観デザインの発展において、重要な文化的価値の交流を示している。
- (iii) 現存するか消滅したかにかかわらず、ある文化的伝統や文明の存在を証明する唯一の、あるいは稀な証拠である。
- (iv) 歴史上の重要な段階を物語る建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例である。
- (v) 特に回復が困難な状況にある場合において、人類の伝統的な集落や土地利用、文化と環境の相互作用を示す優れた見本である。
遺産の価値
歴史的な価値
この遺産群は、高句麗が山城と平城を組み合わせた独自の都城システムを築いたことを示しています。初期の首都である五女山城から、中期に政治・経済の中心となった国内城・丸都山城への変遷は、高句麗の国家形成の過程を物語る貴重な証拠です。また、好太王碑の碑文は、5世紀初頭の東アジアの国際関係を知る上での一級史料とされています。
芸術的な価値
古墳群の中には、色彩豊かな壁画が描かれたものがあります。これらの壁画には、当時の人々の生活、信仰、神話、死生観などが生き生きと描かれており、高句麗の高度な絵画技術と芸術性を示しています。また、「東方のピラミッド」とも称される将軍塚の精巧な石材加工技術は、高句麗の優れた建築技術を証明しています。
主要な構成資産
この世界遺産は、大きく分けて首都遺跡と古墳群から構成されています。
首都遺跡
- 五女山城(ごじょさんじょう):高句麗建国の地とされる初期の山城。険しい地形を利用した難攻不落の城塞でした。
- 国内城(こくないじょう)と丸都山城(がんとさんじょう):中期(~427年)の首都。平地にある国内城が平時の宮城として、山の上にある丸都山城が戦時の籠城や防衛拠点として機能する、特徴的な二重構造の都でした。
古墳群
- 将軍塚(しょうぐんづか):7段の階段状に石を積み上げた巨大な積石塚。長寿王の墓と推定されており、その壮大さから高句麗の王権の強大さがうかがえます。
- 好太王碑(こうたいおうひ):第19代王である好太王(広開土王)の功績を称えるために建てられた、高さ約6.39mの巨大な石碑。1775文字の碑文が刻まれています。
- 壁画古墳:五盔墳(ごかいふん)など、内部に壁画が描かれた古墳も含まれており、当時の文化や風俗を伝える貴重な資料となっています。
構成資産のまとめ
分類 | 主要な構成資産 | 特徴 |
---|---|---|
首都遺跡 | 五女山城 | 高句麗初期の首都(山城) |
国内城・丸都山城 | 高句麗中期の首都(平城と山城のセット) | |
古墳群 | 将軍塚 | 「東方のピラミッド」とも呼ばれる王墓級の積石塚 |
好太王碑 | 好太王の功績を刻んだ、高さ約6.4mの巨大な石碑 |
観光と保全
高句麗の歴史を体感できる貴重な場所として、多くの観光客が訪れます。特に集安市にある遺跡群は、博物館も併設されており、高句麗文化への理解を深めることができます。一方で、遺跡、特に古墳壁画は非常にデリケートであり、風化や劣化が懸念されています。そのため、一部の古墳では内部の公開が制限されるなど、文化遺産を未来へ継承するための慎重な保存活動が進められています。