ベート・シェアリムの墓地遺跡とは
イスラエル北部のガリラヤ地方に位置する「ベート・シェアリムの墓地遺跡」は、ローマ時代後期の2世紀から4世紀にかけて築かれたユダヤ人の大規模な地下墓地(ネクロポリス)です。エルサレム神殿崩壊後のユダヤ人の精神的な再興を象徴する場所として、2015年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
この遺跡は、当時のユダヤ社会の最高指導者であったラビ・ユダ・ハナシーの墓所を中心として、国内外の多くのユダヤ人が埋葬を望んだ聖地でした。複雑な地下墓地群(カタコンベ)には、美しい彫刻が施された石棺や、ヘブライ語、ギリシャ語、アラム語などで書かれた多くの碑文が残されており、古代ユダヤ文化とグレコ・ローマン文化が融合した様子を今に伝えています。
世界遺産登録とその基準
ベート・シェアリムの墓地遺跡は、以下の2つの基準が評価され、世界遺産に登録されました。
- 登録基準(ii): ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- 登録基準(iii): 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
登録基準(ii)について
この遺跡は、ユダヤ教の伝統芸術とグレコ・ローマン世界の芸術が融合した独特の文化交流を示しています。カタコンベ内の壁画や石棺には、メノーラー(七枝の燭台)のようなユダヤ教のシンボルと共に、ギリシャ神話のモチーフや幾何学模様が見られます。また、ヘブライ語、ギリシャ語、アラム語、パルミラ語という4つの言語で記された碑文は、当時のユダヤ人社会が多様な文化と交流していたことを示す貴重な証拠です。
登録基準(iii)について
ベート・シェアリムは、紀元135年の第二次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)の敗北後、エルサレムからガリラヤ地方へ移ったユダヤ人の精神的中心地としての役割を果たしました。口伝律法「ミシュナ」を編纂したラビ・ユダ・ハナシーがこの地に埋葬されたことで、世界中のユダヤ人にとって重要な埋葬地となりました。この遺跡は、エルサレム神殿を失ったユダヤ民族が、新たな精神的支柱を築き、文化を再興させた歴史を物語る類まれな証拠とされています。
遺跡の概要と特徴
ベート・シェアリムの遺跡は、丘の斜面に掘られた30以上のカタコンベ(地下集団墓地)から構成されています。
地下墓地(カタコンベ)
洞窟のように掘られた地下墓地は、複雑な通路で結ばれており、内部には数百の墓室があります。整然と配置された石棺や壁龕(へきがん)は、当時の埋葬慣習や社会構造を知る上で重要な手がかりとなります。特に「石棺の洞窟」と呼ばれるカタコンベには、重厚で豪華な装飾が施された石棺が数多く残されています。
石棺と碑文
遺跡から発見された200基以上の石棺は、その多くが地元の石灰岩で作られていますが、一部は遠く小アジアから運ばれた大理石製のものもあります。石棺には、ライオンや鷲といった動物の浮き彫りや、花輪模様、ユダヤ教のシンボルなどが刻まれており、豊かな芸術性を示しています。碑文には故人の名前や職業、出身地などが記され、当時の人々の生活を垣間見ることができます。
見学と保全
ベート・シェアリムは国立公園として整備されており、一部のカタコンベが一般に公開されています。訪問者はガイドツアーやビジターセンターの展示を通じて、遺跡の歴史的・宗教的背景を深く学ぶことができます。イスラエル自然・公園局によって遺跡の保存活動が継続的に行われており、貴重な人類の遺産を未来に引き継ぐための努力が続けられています。
| 主要な遺構・遺物 | 特徴 |
|---|---|
| カタコンベ(地下墓地) | 丘の斜面に掘られた30以上の洞窟墓地群。内部は複雑な通路と墓室で構成される。 |
| 石棺 | 精巧な浮き彫り(動物、植物、ユダヤ教のシンボル)が施された石製の棺。一部は輸入品。 |
| 碑文 | 故人の情報がヘブライ語、ギリシャ語、アラム語などで刻まれており、文化交流を示す。 |
| 芸術様式 | ユダヤ教の伝統とグレコ・ローマン美術が融合した壁画や彫刻。 |