負の世界遺産とは

負の世界遺産とは

負の世界遺産とは、近現代の戦争や紛争、人種差別など人類が犯した過ちを記憶にとどめて教訓とする遺産とされています。

負の世界遺産は特に世界遺産条約で明確に定義されているものではなく、また学者や識者の間でもどの世界遺産を負の世界遺産とするかは意見が分かれているのが実情です。

どういった世界遺産が負の遺産とされているか

一般的には、登録理由が平和の希求や人種差別の撤廃に向かう歴史と結びついている物件が負の遺産として認識されています

世界遺産の登録基準(ⅵ)を含むかそれのみで登録されているものを負の遺産と呼ぶことが多く、例えば日本の「広島平和記念碑(原爆ドーム)」は登録基準(ⅵ)のみで世界文化遺産に登録されています。

もっとも、広島平和記念碑(原爆ドーム)の世界遺産登録の際には中国やアメリカが否定的な見解を示しました。中国は、日本以外にもアジア諸国が第二次世界大戦で被害を受けているのにそれが過小評価される一因となってしまうことを懸念しており、アメリカは戦争遺跡を世界遺産に含めることに否定的な見解を示しました。

この時の審議では、結果的には「平和への希求」の象徴としての価値を評価されて無事に世界遺産リストへの登録が決定されました。

意見の分かれやすい負の遺産

イギリスの「海商都市リヴァプール」は、負の遺産とみなすかどうかで意見の分かれやすい世界文化遺産(2021年に登録抹消)です。

大英帝国の発展を支えた海洋交易の拠点として世界遺産に登録されましたが、その背景には黒人奴隷を商品とする三角貿易があることを理由に負の遺産だとする学者もいます。

負の遺産と考えられている世界遺産リスト

明確な定義はないものの、多くの書籍や識者の意見で負の遺産と考えられている世界遺産をご紹介します。

登録名国名登録基準概要
ゴレ島セネガル(ⅵ)奴隷貿易の拠点となった島。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ – ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940 – 1945)ポーランド(ⅵ)ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺した強制収容所。
ガーナのベナン湾沿いの城塞群ガーナ(ⅵ)奴隷貿易の拠点となった要塞が複数含まれる。
キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡タンザニア(ⅲ)牢獄の遺跡などを含む。
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群 コロンビア(ⅳ)(ⅵ)南米各地で略奪された先住民の財宝の積出港となった。
ポトシの市街ボリビア(ⅱ)(ⅳ)(ⅵ)その過酷な労働から「人を食う山」と恐れられた銀鉱山の下に発達した町。
トリニダードとロス・インヘニオス盆地キューバ(ⅳ)(ⅴ)奴隷の監視塔などが残るサトウキビ農園跡とその繁栄で築かれた建造物群が残る。
ソロヴェツキー諸島の歴史的建造物群ロシア(ⅳ)ソロヴェツキー修道院はソ連時代に強制収容所に転用されていた歴史を持つ。
広島平和記念碑(原爆ドーム)日本(ⅵ)広島への原爆投下で辛うじて残った広島県産業奨励館の残骸。核兵器の悲惨さを伝えている。
ロベン島南アフリカ共和国(ⅲ)(ⅵ)人種隔離政策に反対した人達が収容された島。
ザンジバル島のストーン・タウンタンザニア(ⅱ)(ⅲ)(ⅵ)東アフリカにおける奴隷貿易の拠点。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群アフガニスタン(ⅰ)(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)(ⅵ)重要な巡礼地であったことから、度重なる攻撃を受けた。
クンタ・キンテ島と関連遺跡群ガンビア(ⅲ)(ⅵ)ゴレ島とともに奴隷貿易の拠点となった。
海商都市リヴァプール英国(ⅱ)(ⅲ)(ⅳ)奴隷を含む三角貿易で栄えた港。※2021年に登録が抹消された。
モスタル旧市街の石橋と周辺ボスニア・ヘルツェゴビナ(ⅵ)民族・宗教対立によって破壊された橋。内戦終結後に再建された平和と共存の象徴でもある。
アープラヴァシ・ガートモーリシャス(ⅵ)奴隷制度に代わる「契約移民労働」制度が始められた場所。地球規模での労働者の移動の先駆的な例という肯定的評価もなされている。
ル・モルヌの文化的景観モーリシャス(ⅲ)(ⅵ)脱走した奴隷たちが自由を求めて戦った場所。
ビキニ環礁 – 核実験場となった海マーシャル諸島(ⅳ)(ⅵ)繰り返し行われた核実験により地域汚染を引き起こしたほか、1954年3月1日の核実験では多数の漁船や島民が放射性降下物(死の灰)を浴びた。
オーストラリアの囚人収容所遺跡群オーストラリア(ⅳ)(ⅵ)かつて大英帝国が築いた刑務所などの建造物群。

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