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WORLD HERITAGE

ドイツ文化遺産1986年登録

トリーアのローマ遺跡、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂

ドイツのトリーアは、ローマ帝国の都市遺跡と中世の大聖堂・聖母聖堂が、古代からキリスト教都市への転換を示します。帝国権力、奴隷労働、ユダヤ人を含む都市社会、戦災と現役礼拝を解説します。

トリーアのローマ遺跡、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂(ドイツ)のイメージイラスト

ESSENTIAL FACTS

基本情報と登録基準

登録年
1986年
登録基準
(1)・(3)・(4)・(6)
種類
文化遺産
国・地域
ドイツ

WHY IT MATTERS

この世界遺産について

ローマ遺跡と教会群の構成

トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母聖堂(Roman Monuments, Cathedral of St Peter and Church of Our Lady in Trier)は、ドイツ西部のモーゼル川沿いに残る文化遺産です。1986年に登録基準(i)(iii)(iv)(vi)で登録され、登録面積は7.3haです。ポルタ・ニグラ、円形闘技場、浴場、ローマ橋、アウラ・パラティナ、イーゲルの記念柱、大聖堂と聖母聖堂など、異なる機能と時代の建物から構成されます。

ローマ都市からキリスト教都市へ

商業都市として栄えたトリーアは、3世紀末には四帝分治の重要拠点となりました。巨大な建築は皇帝権力を表す一方、後の時代にも転用されました。ローマの城門ポルタ・ニグラには、1034~1042年に大司教ポッポが二層の教会を設けています。大聖堂も古代以来の構造を取り込みながら改変を重ね、都市の歴史の連続を伝えています。

商人の営みを伝えるイーゲルの記念柱

帝国の建物だけでなく、商業の担い手を伝える記念物も残ります。州の文化遺産機関による解説では、高さ23mのイーゲルの記念柱は、紀元250年頃に建てられたセクンディニウス家の墓碑です。浮彫には布商人の生活と商売が描かれ、一家の富と成功を街道の通行人に示す建築でもありました。布商人の家との同定には、こうした職業の図像が重要な根拠となっています。

同機関は、中世に墓碑の家族像がコンスタンティヌス帝の両親の婚姻場面と解釈されたことが、取り壊しを免れる一因になったと説明しています。後世の解釈は、建設当初の意味とは異なりながらも、記念物の存続に影響しました。

四つの登録基準

基準(i)は、とくに巨大な石材と半円形の塔を持つポルタ・ニグラの独創的な建築を評価します。(iii)は橋、浴場、闘技場、葬送記念物などが集中して残るローマ文明の証言、(iv)は帝国分割後の大首都の代表性です。(vi)は、コンスタンティヌスが312年にマクセンティウスに対して出陣し、翌313年のミラノ勅令とキリスト教の公認へ至る歴史との直接的な関係に対応します。

転用と修復の歴史も残る遺産

現在見える姿がすべて古代のままというわけではありません。UNESCOは、ポルタ・ニグラでは19世紀に後世の付加部分が除かれ、バシリカでは再建が行われたことを記しています。また、州の文化遺産機関は、風化が進んだイーゲルの記念柱について、20世紀初頭に実物大の型取り複製を作り、1993年には原物に残る色の痕跡をもとに複製へ彩色したと説明しています。古代の遺構と後世の保存・再現の仕事は、区別して理解する必要があります。

検定のポイント

ドイツのトリーア、1986年登録、基準(i)(iii)(iv)(vi)です。ローマ帝国の商業・皇帝権力・キリスト教史を伝え、城門ポルタ・ニグラ、浴場、橋、葬送記念物、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂が主要な構成要素です。

参考文献

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世界遺産検定で押さえるポイント

  • ドイツのトリーア、1986年登録、基準(i)(iii)(iv)(vi)です。
  • ローマ帝国の商業・皇帝権力・キリスト教史を伝え、城門ポルタ・ニグラ、浴場、橋、葬送記念物、聖ペテロ大聖堂と聖母聖堂が主要な構成要素です。
公式の検定運営団体とは関係のない、一次情報に基づく独自の学習支援情報です。

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