姫路城とは
姫路城は兵庫県姫路市にある木造建築の城郭です。1993年12月に、奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録されました。
現在見られる姫路城の大天守は、慶長14年(1609年)に建築されたもので、400年以上経った今もその美しい姿を見ることができます。
登録基準の具体的内容
姫路城は、登録基準ⅰとⅳを満たしています。
登録基準ⅰ
大天守に代表される設計技術の高さと、白漆喰などを施した装飾美の素晴らしさから、木造城郭建築の最高傑作とされ、人類の創造的資質を示す傑作であるとされています。
登録基準ⅳ
日本の木造城郭建築という重要な様式の建築物の代表であり、その特徴が良く保存されている建築物であることが評価されています。また、山城から平山城へと城郭建築の様式が移行していく時代性を表す建造物であることも評価されました。
遺産の価値
![姫路城](https://whlibrary.net/wp-content/uploads/2022/10/image-2-1024x768.png)
姫路城は、「白鷺城」とも呼ばれます。これは、白漆喰と総塗籠の外壁、そして城郭の中心となる多層の櫓の姿からそう称されるのです。また、極めて保存状態がよく、当時の姿のまま残る建造物も多いです。17~20世紀にかけて行われてきた修復作業の内容が創建当時の技術、意匠を引き継いで実施されたことも大きな要因の1つです。
特に、1934年から1964年の昭和の大修理は国家事業として実施されました。大天守の修復作業時には8年の歳月、延べ25万人が投入され、多くの銘文が発見されたことで天守の築造過程が明確になりました。
遺産の概要
姫路城は1346年に日女道丘とも呼ばれた姫山に築かれた城郭が前身となっています。この地が重要な拠点になると考えた羽柴秀吉が1580年に本格的な改修を実施し、翌年に完成しました。
1600年の関ヶ原の戦いのあとは、徳川家康が娘婿である池田輝政に姫路城を与え、西国大名の監視役としていました。現在の姫路城は1609年の大改修後の姿とほぼ変わりません。
姫路城は、砦としても住居としても利用されていました。西の丸は池田輝政に代わって城主となった本多忠政が長男の忠刻とその妻の千姫の住居とするために整備したものです。
砦としては複雑に屈折した曲輪配置等が有名です。
主な登録物件の特徴
姫路城全体
外観的な特徴
- 白漆喰、総塗籠の外壁
要塞的な特徴
- 複雑に屈折した曲輪、本丸、二の丸、家臣の屋敷があった三の丸など
- 石落、狭間
- 複雑に屈折する塀と数多くの門
- 大小の櫓、長短の渡櫓
住居としての特徴
- 備前丸:城主の住居
- 西の丸:本多忠刻、千姫の住居
- 三の丸:本多忠政の居城
大天守
外観的な特徴
- 唐破風、千鳥破風などいくつかの破風をもつ屋根が連なる
- 5層7階の建物
- 入母屋造りの二十櫓の上に小規模の二重櫓、その上に望楼式天守
- 安土城を模したとされる
要塞的な特徴
- 1階、2階には開閉可能な特殊窓、火縄掛けなど
- 3階には武者隠し、武具掛け、火縄掛けなど
- 4階には窓から攻撃するための石打棚という設備
住居としての特徴
- 5階6階が住居部分
- 6階には装飾的な釘隠し、明障子や書院造りの舞良戸
小天守
外観的な特徴
- 大天守を1つの角として口の字の各角に小天守がある
- 東小天守、西小天守、乾小天守の3つを渡櫓で繋ぐ連立式天守
- 渡櫓はすべて外観2層内部3階
- 小天守、渡櫓はすべて国宝
要塞的な特徴
- 乾小天守が大天守の対角に位置し一番大きい
- 東小天守の外観は3層内部4階
- 西小天守は大天守攻撃の際の最後の砦
住居としての特徴
- 乾小天守と西小天守には、唐破風、入母屋破風の両方が使われ、花頭窓が設けられるなど、住居風の意匠が特徴
西の丸
外観的な特徴
- 御殿は現存しないが、化粧櫓、長局が残る
- 長局には、鉄砲狭間、弓狭間など幾何学的形状が一種の装飾にも見える
要塞的な特徴
- 石落、狭間など防御の仕掛けがある
- 蓋で開閉できる隠し狭間と呼ばれるものもある
住居としての特徴
- 本多忠政が息子忠刻、千姫のために建てた居住空間
- 長局は百間廊下とも呼ばれ、複雑に屈折しながら約300m続く渡櫓
- 身分の高い女中の居室もあった