WORLD HERITAGE
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国
ドイツのデッサウ・ヴェルリッツの庭園王国は、啓蒙思想のもと庭園、建築、農地、教育、河川管理を広域に統合しました。君主の改革と農民・庭師の労働、洪水・樹木・公開景観の保全を解説します。

ESSENTIAL FACTS
基本情報と登録基準
- 登録年
- 2000年
- 登録基準
- (2)・(4)
- 種類
- 文化遺産
- 国・地域
- ドイツ
WHY IT MATTERS
この世界遺産について
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国とは
ドイツのザクセン=アンハルト州、エルベ川とムルデ川の地域に広がる文化的景観です。2000年に基準(ii)(iv)で世界文化遺産に登録され、2019年に軽微な境界変更が行われました。登録面積は11891ha、緩衝地帯は11208haです。宮殿や庭園だけでなく、農地と実用的な施設まで含む景観計画に、18世紀の啓蒙思想が表れています。
旅行から生まれた景観改革
アンハルト=デッサウのレオポルト3世フリードリヒ・フランツと、友人で助言者のフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・エルトマンスドルフは、英国の景観式庭園やイタリアの古代建築を旅先で学びました。ヴェルリッツを中心に約40年をかけて、各地の庭園を眺望や様式の関係で結ぶ構想が展開しました。単に外国の名園を写したのではなく、多様な芸術と技術を地域の景観へ組み込んだことが特色です。
農業を見せる庭園
農地は庭園の背景ではなく、計画の一部でした。UNESCOは、装飾性を備えた農場という考え方に基づき、新しい農法を実際に示す教育的な機能があったと説明しています。建物や庭園を公開する構想も、人びとを教育するという理念と結び付いていました。美しい景色、日々の生産、学びを別々にせず、一つの風景に統合した点に庭園王国の独自性があります。
新古典主義とゴシック復興
ヴェルリッツ宮殿は1769~1773年に建てられ、UNESCOはドイツ最初の新古典主義建築と位置付けています。一方、1774年からのゴシック・ハウスは、中欧のゴシック復興建築に大きな影響を与えました。その様式には、小さな領邦が主権を保とうとする政治的な意味も込められていました。橋などの新技術も取り入れられ、庭園はさまざまな時代の建築を比較できる場となりました。
景観の関係を守る
保存対象は宮殿の壁や庭園の植栽だけではありません。UNESCOの管理説明には、長く植生に覆われていた眺望線を再び見えるようにする取組が記録されています。建物から建物へ、庭園から農地や水辺へと続く見通しも、設計の一部だからです。景観の広い範囲は生物圏保存地域とも重なりますが、世界遺産と生物圏保存地域は異なる制度です。
登録基準と世界遺産検定のポイント
基準(ii)は、啓蒙思想の哲学的原理を、芸術・教育・経済が調和する景観へ適用したことを評価します。基準(iv)は、景観設計が大きく発展した18世紀を代表する広範な実例であることに対応します。2000年登録、ドイツ、レオポルト3世、エルトマンスドルフ、英国式庭園、農業と教育、基準(ii)(iv)が主要な要点です。
参考文献
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EXAM ESSENTIALS
世界遺産検定で押さえるポイント
- 基準(ii)は、啓蒙思想の哲学的原理を、芸術・教育・経済が調和する景観へ適用したことを評価します。
- 基準(iv)は、景観設計が大きく発展した18世紀を代表する広範な実例であることに対応します。
- 2000年登録、ドイツ、レオポルト3世、エルトマンスドルフ、英国式庭園、農業と教育、基準(ii)(iv)が主要な要点です。
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