WORLD HERITAGE
パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区
登録:1997年 登録基準:(ii)(iv)(vi)

ESSENTIAL FACTS
基本情報と登録基準
- 登録年
- 1997年
- 登録基準
- (2)・(4)・(6)
- 種類
- 文化遺産
- 国・地域
- パナマ
WHY IT MATTERS
この世界遺産について
二つの市街と2025年の位置付け
パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区は、太平洋岸のパナマ市に残る、移転前後の二つの都市の姿を伝えます。1997年に先に登録されたのはサロン・ボリバルを含む歴史地区で、2003年にパナマ・ビエホ考古遺跡が追加されました。2025年には両地区が「パナマの植民地時代の地峡横断ルート」の一部となりました。旧来の二地区と、新しいルート全体は同じ範囲ではありません。
1519年の市街と1673年の移転
パナマ・ビエホは1519年にペドラリアス・ダビラが建設した、アメリカ大陸太平洋岸の初期のヨーロッパ人植民都市です。先住民の居住痕跡も残り、植民都市の歴史だけがこの土地の始まりではありません。16~17世紀には王立司法機関が置かれ、貴金属を運ぶ帝国の交通網の中継地として発展しました。1671年にヘンリー・モーガンの襲撃を受けて廃墟となり、1673年に市街は別の半島へ移転しました。
廃墟と生活する歴史地区
放棄後に再建されなかったビエホでは、やや不規則な格子状の街路や、大聖堂、修道院、公共建築の遺構から植民都市の構成を読み取れます。移転先のカスコ・アンティグオでは、要塞化された市街の街路と、教会、住宅、広場が残ります。19~20世紀初頭には集合住宅や木造長屋も建てられ、鉄道と運河の建設に伴う社会の変化が住まいに表れました。富裕層の邸宅だけではない都市生活の証拠です。
旧登録の三基準とサロン・ボリバル
旧資産の文化基準は(ii)(iv)(vi)でした。(ii)は植民都市計画への影響と海洋間交通を支える価値観の交流、(iv)は住宅・教会の建築類型と、近代の社会的要求に応えた集合住宅などを評価しています。(vi)はスペインの拡張、アフリカ系の人々の離散、交易史などとの関係に加え、サロン・ボリバルで1826年に試みられた多国間会議との結び付きです。
石材の再利用がつなぐ二地区
UNESCOの定期報告に収録された価値説明は、ビエホの切石などが移転先の建物や要塞へ再利用されたことを記しています。ラ・メルセー教会ではファサード全体が新しい場所に再建された例もあり、二地区は年代だけでなく材料の移動でもつながっています。遺構を守る仕事と、住まいとして使い続ける建物の修理は、異なる条件のもとで行われます。
地峡横断ルートへの編入
2025年の世界遺産委員会決議47 COM 8B.33は、旧資産が新ルートの一部になったことを明記しています。パナマ・ビエホは構成005、歴史地区は006で、新ルート全体の基準は(ii)(iv)です。同決議は、先住民、奴隷化されたアフリカ人、ヨーロッパ人入植者の交流が平和的な過程ではなかったことも示します。住民や地域共同体の管理への参加強化、遺産影響評価の運用は勧告事項として残されました。
世界遺産検定のポイント
- パナマ。1997年に歴史地区、2003年にビエホ遺跡を追加。旧基準は(ii)(iv)(vi)。
- 1519年の植民都市、1671年の襲撃、1673年の移転と、1826年サロン・ボリバルの会議が主な歴史です。
- 2025年から地峡横断ルートの構成005/006。新ルート全体の基準(ii)(iv)と旧二地区の登録史は別です。
参考資料
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パナマ・ビエホ考古遺跡とパナマの歴史地区(パナマ)
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EXAM ESSENTIALS
世界遺産検定で押さえるポイント
- パナマ。1997年に歴史地区、2003年にビエホ遺跡を追加。旧基準は(ii)(iv)(vi)。
- 1519年の植民都市、1671年の襲撃、1673年の移転と、1826年サロン・ボリバルの会議が主な歴史です。
- 2025年から地峡横断ルートの構成005/006。新ルート全体の基準(ii)(iv)と旧二地区の登録史は別です。
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