レプティス・マグナの考古遺跡

               
国名 リビア
世界遺産の名称 レプティス・マグナの考古遺跡
遺産の種類 文化遺産/危機遺産
登録年 1982
拡張・範囲変更
登録基準 (ⅰ), (ⅱ), (ⅲ)
備考 危機遺産2016年登録

レプティス・マグナの考古遺跡とは

レプティス・マグナは、紀元前10世紀にフェニキア人によって築かれ、前49年、ローマの属州となった商業・港湾都市の遺跡です。2世紀初頭、正式なローマ植民市に昇格したレプティスの街は、北アフリカの商業中継地として発展していきました。

登録基準の具体的内容

レプティス・マグナの考古遺跡は、世界遺産の登録基準ⅰ、ⅱ、ⅲを満たしています。

登録基準ⅰ

レプティス・マグナの建造物は、人類の創造的な才能を示す遺産であるということ。

登録基準ⅱ

紀元前2世紀には共和制ローマに組み込まれていて、ここはギリシャ・ローマ、オリエント、北アフリカなど、さまざまな文化が見られる建造物が残るという点。

登録基準ⅲ

砂に埋れていた都市遺跡であるため保存状態がよく、かつての繁栄が見られるということ。

遺産の概要

レプティス・マグナは、セプティミウス・セウェルスが後193年にローマ皇帝に就くと黄金期を迎えます。総面積4平方kmのレプティスには、東西と南北に2本の大通りが走っており、その幹線道路を中心にさまざまな建物がつくられていきました。

代表的な建造物であるセウェルス帝の凱旋門は、198年、セウェルス帝がパルティア王国に勝利した際のモニュメントとして、街の西にある大交差点に建造されました。

4つのアーチを組み合わせた四面門で、どの方角からも通り抜けることができます。門の表面には皇帝をたたえるレリーフが施されており、北アフリカとオリエントの美術様式が混在している様子がわかります。また、柱にはコリント式の装飾が施されているのも特徴です。

このほかにも、1万6,000人が収容可能な野外劇場など多くの建物が築かれたレプティスは、ローマに匹敵するといわれるほど壮大で整備されていた都市であり、7世紀初頭までローマ帝国の重要な拠点として繁栄したのです。そして、本来のレプティスという都市名に「偉大な」を意味するマグナを冠するようになりました。しかしその後、イスラム勢力の侵略によって衰退し、歴史の舞台から消えてしまうのです。

1921年、イタリア人考古学者P・ロマネッリにより掘り起こされたレプティス・マグナは、砂に埋もれていたため風化しておらず、状態も良好で考古学界にで話題となりました。特にオブジェや建物のレリーフは鮮明に残されており、ローマ時代の装飾技術を知る上で大きな役割を果たしています。発掘後には修復作業も行われましたが、沿岸地帯に存在するため海水の浸食を受けてしまっています。さらに1987年、1988年と2度にわたる洪水にも見舞われており、保護、復旧が求められている状態です。

危機遺産への登録

2016年にリビア内戦によって、遺跡が脅威に晒されていることから他のリビアの世界遺産同様にレプティス・マグナも危機遺産となりました。

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