世界遺産リストの中には、危機遺産と呼ばれる世界遺産が複数あります。
さまざまな理由から危機遺産に登録され、場合によっては世界遺産リストから抹消される可能性もあります。
この記事では、危機遺産について詳細に解説します。
危機遺産とは
危機遺産は、世界遺産条約第3章第11条に基づき、「危機にさらされている世界遺産リスト(危機遺産リスト)」に登録されている遺産を指します。
世界遺産リストに登録されている遺産がさまざまな要因で重大かつ明確な危機にさらされ、保全のために大規模な作業が必要になったり、世界遺産条約に基づく援助がその遺産に対して要請されている場合に危機遺産リストに登録されます。
危機遺産リストへの登録は世界遺産委員会が行います。
世界遺産条約第3章第11条第4項
同委員会は、事情により必要とされる場合には、世界遺産一覧表に記載されている物件であって、保存のために必要とされる大規模な工事についての援助がこの条約に基づいて要請されているものの一覧表(「危険にさらされている世界遺産一覧表」と称する。)を作成し、常時更新し及び公表する。
この一覧表には、工事に要する経費の見積りを含む。その一覧表には、文化及び自然の遺産を構成する物件であって、損壊の進行による滅失の危険、大規模な公的又は私的な工事、急激な都市開発又は観光開発のための工事、土地の利用又は所有権の変更に帰因する破壊、未詳の原因による重大な変更、各種の理由による放棄、武力紛争の発生又は脅威、災禍及び大変動、大火、地震、地すべり、火山の噴火、水位の変化、洪水及び津波のような重大かつ特別な危険にさらされているものに限って記載することができる。
同委員会は、緊急の必要がある場合にはいつでも、危険にさらされている世界遺産一覧表に新たな記載を行なうことができるものとし、その記載について直ちに公表する。
外務省「世界遺産条約」
危機遺産リストへの登録基準
世界遺産条約履行のための作業指針では、文化遺産と自然遺産それぞれに登録基準が定められています。
また、その登録基準には「確実な危険」と「潜在的な危険」というものがあります。
確実な危険 | すでに劣化や破壊が始まっており、すぐにでも保全が必要な状態 |
潜在的な危険 | 紛争や都市計画によって破壊や価値の喪失のおそれがある状態 |
文化遺産の登録基準
確実な危険
- 材料の重大な劣化
- 構造及び、または装飾の重大な劣化
- 建築上・都市計画上の一貫性の重大な劣化
- 都市・田園空間や自然環境の重大な劣化
- 歴史的真正性の重大な消失
- 文化的意義の重大な消失
潜在的な危険
- 保護の程度を弱くする資産の法的位置づけの変更
- 保全に関する政策の欠如
- 地域計画事業による脅威
- 都市計画による影響
- 武力紛争の勃発又はおそれ
- 地質学や気候など環境要因による漸進的な変化
自然遺産の登録基準
確実な危険
- 絶滅危惧種や普遍的価値を有する生物種の重大な減少
- 自然美または科学的価値の重大な低下
- 完全性を脅かす資産境界などへの人間活動の侵食
潜在的な危険
- 関係地域の法的保護状況の変更
- 資産に影響を与える場所への移住・開発計画
- 武力紛争の勃発または恐れ
- 管理計画や管理体制の欠如、不備、不十分な執行
危機遺産に登録される要因
危機遺産に登録される主な要因には、下記が挙げられます。
- 気象など自然環境の変化
- 風化など時間経過による変化
- 戦争や内戦による破壊行為
- 密猟などによる希少生物の減少
このほかにも登録される理由はありますが、上記の4つについて詳しく解説します。
気象など自然環境の変化
たとえば「チャンチャンの考古地区」はエルニーニョ現象や温暖化による河川や地下水の水量増加によって日干しレンガや土壁が徐々に溶け出しています。また、それによる塩害も受けており、排水設備を整備したり修復活動の拡大が行われています。
風化など時間経過による変化
たとえば「パナマのカリブ海沿岸の要塞群」では、城壁や砲台は補強が必要なほどに風雨による侵食が進んでいます。また、そういった状況の改善を求めているにもかかわらず10年以上にわたって保全活動が進んでいない現状に鑑み、危機遺産リストに登録されました。
戦争や内戦による破壊行為
たとえばシリアの「古代都市パルミラ」では、内戦やイスラム国(IS)の影響によって危機遺産リストに登録されています。
実際に、イスラム国(IS)によってバール・シャミン神殿、ベル神殿、ローマ記念門、テトラピュロン(門柱)、塔墓群の一部が破壊されています。
密猟などによる希少生物の減少
たとえばコンゴ民主共和国の「ヴィルンガ国立公園」は、燃料や食糧となる動植物の不法伐採、密猟が深刻化しています。また、近年は政府が石油開発の計画をしており、さらなる環境破壊の懸念があります。
危機遺産に登録されるとどうなるか
危機遺産に登録されると、その保全活動や危機的状況の改善具合について毎年の世界遺産委員会で報告が求められます。
報告が求められる背景としては、危機遺産に登録された物件は世界遺産基金の活用や技術スタッフの派遣、調査活動などが認められているため、保全のためにしっかりと活動ができているかを確認する必要があるからです。保有国だけでなく国際的に援助をしていくのが世界遺産条約の目的でもあり、保全活動が着実に行われていることは国際的な援助を受けている物件の責務とも言えます。
また、保全活動が十分ではなかったり、世界遺産としての価値が失われたと判断された場合は世界遺産リストからの抹消もありえます。
世界遺産リストからの抹消
世界遺産の顕著な普遍的価値を守る事ができなかったと判断された場合、その世界遺産は世界遺産リストから抹消されます。これまでに世界遺産リストから抹消された事例は3件あります。
- アラビアオリックスの保護区(オマーン、1994年世界遺産登録、2007年抹消)
- ドレスデン・エルベ渓谷(ドイツ、2004年世界遺産登録、2009年抹消)
- リヴァプール海商都市(英国、2004年世界遺産登録、2021年抹消)
アラビアオリックスの保護区は、保有国であるオマーンが資源開発を優先するという判断のもと、保護区の90%を削減したことで抹消されました。もっとも、オマーン政府が世界遺産リストからの抹消を自ら求めていたこともあり、危機遺産に登録されることなく2009年に抹消されました。
ドレスデン・エルベ渓谷については、建設予定の橋が文化的景観を損ねるために危機遺産リストに登録して再三の警告を行っていました。しかし、住民投票でも架橋に賛成という結果が出たこともあって架橋を強行した結果、世界遺産リストから抹消されました。
リヴァプール海商都市は、都市の再開発計画によって歴史的景観を損なう恐れがあるとして2012年に危機遺産にもなっていましたが、2021年7月までに改善が見られなかったことから登録抹消となりました。
世界遺産としてその価値を守り続ける大切さもありながら、その土地に住む人々の生活も考えなくてはいけないため、難しい問題と言えます。