WORLD HERITAGE
国立歴史文化公園『古代メルヴ』
トルクメニスタンのムルガブ川オアシスに、異なる時代の都市が場所を移しながら重なる古代メルヴ。数千年に及ぶ都市と交流の歴史を、土造遺構、灌漑を支えた農業景観、征服後も続いた地域社会の視点から解説します。

ESSENTIAL FACTS
基本情報と登録基準
- 登録年
- 1999年
- 登録基準
- (2)・(3)
- 種類
- 文化遺産
- 国・地域
- トルクメニスタン
WHY IT MATTERS
この世界遺産について
基本情報と遺産の意義
国立歴史文化公園「古代メルヴ」はトルクメニスタンのムルガブ川オアシスにあり、1999年に基準(ii)(iii)で世界文化遺産となりました。青銅器時代から近世まで、都市が隣接する場所へ移りながら発展しました。エルク・カラ、ギャウル・カラ、スルタン・カラ、アブドゥッラー・ハン・カラなどが、長期にわたる都市の歴史を伝えます。
水と都市の移動
1999年のICOMOS評価書によると、初期の青銅器時代の中心地は、ムルガブ川の水を利用しやすいオアシス北部にありました。灌漑技術が発展すると中心地は南へ移りました。歴史時代の都市群は交通路を利用できる位置に発展し、エルク・カラとギャウル・カラには、アケメネス朝からヘレニズム、パルティア、ササン朝、初期イスラーム期へとつながる歴史があります。
宗教と生活の建築
ギャウル・カラには、モスクと貯水槽のほか、仏塔と僧院の遺構があります。スルタン・カラではセルジューク朝期に城壁が築かれ、スルタン・サンジャル廟は大きな宗教施設群の一部でした。煉瓦の組積、彫刻した漆喰、残存する壁画が、その建築技術を示します。水の分配、信仰、防御の施設を合わせることで、都市生活の多面性が分かります。
征服とその後の都市
ICOMOS評価書は、1221~1222年のモンゴル軍による略奪で多くの住民が殺され、複雑な水利施設も破壊されたと記しています。一方、都市は規模を縮めながら存続し、ティムールの後継者シャー・ルフの時代には、南の別の場所に小規模な都市が築かれました。現在アブドゥッラー・ハン・カラと呼ばれる遺構です。侵攻による大きな断絶と、その後も続いた居住の両方が残されています。
登録基準(ii)(iii)
登録決議で基準(ii)は、メルヴの都市群が四千年にわたり中央アジアとイランの文化に影響し、とくにセルジューク朝の都市が建築・装飾や科学・文化の発展に寄与した点を評価しています。(iii)は、歴代の都市、城壁、都市配置が、数千年に及ぶ中央アジアの文明を伝える卓越した証言である点です。
土造建築を守る課題
メルヴでは日干し煉瓦や土の構造物が重要な遺構となっています。調査に参加するUCLの解説は、小キズ・カラの1954年と2003年の写真を比較し、風を主因とする侵食を示しています。また1999年のICOMOS評価書は、20世紀に行われた一部宗教建築の修復が当時の保存原則に合致しない一方、建物の安定と継続利用を図る措置でもあったと説明しています。土の遺構と使い続けられる宗教建築では、保存の条件も異なります。
世界遺産検定のポイント
古代メルヴはトルクメニスタンにあり、1999年登録、基準(ii)(iii)です。ムルガブ川オアシス、隣接する複数の城壁都市、セルジューク朝、スルタン・サンジャル廟が主要な要点です。1221~1222年の破壊後も、周辺で都市活動が続きました。
参考文献
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EXAM ESSENTIALS
世界遺産検定で押さえるポイント
- 古代メルヴはトルクメニスタンにあり、1999年登録、基準(ii)(iii)です。
- ムルガブ川オアシス、隣接する複数の城壁都市、セルジューク朝、スルタン・サンジャル廟が主要な要点です。
- 1221~1222年の破壊後も、周辺で都市活動が続きました。
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