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世界遺産ライブラリWORLD HERITAGE LIBRARY

WORLD HERITAGE

チュニジア文化遺産1985年登録

ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡

ローマ都市に建て替えられず、フェニキア・カルタゴ系都市の街路、住宅、工房、神殿、防壁と墓地がまとまって残るチュニジアの遺跡。古代地中海の都市生活と葬送文化を伝えます。

古代カルタゴ都市ケルクアンとそのネクロポリスの写真

ESSENTIAL FACTS

基本情報と登録基準

登録年
1985年
登録基準
(3)
種類
文化遺産
国・地域
チュニジア

WHY IT MATTERS

この世界遺産について

基本情報と遺産の価値

ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡は、チュニジア北東部ボン岬の海岸にある文化遺産です。1985年に登録され、1986年に墓地を含む境界変更が行われました。登録基準は(iii)です。都市とアルグ・エル・ガズアニの墓地という二つの構成部分が、フェニキア・カルタゴ系社会の暮らしと死を伝えます。

都市の成立と放棄の歴史

この地の最古の痕跡は紀元前6世紀にさかのぼり、現在見える遺構の多くは紀元前4世紀末から3世紀前半のものです。都市は第一次ポエニ戦争期、紀元前255年ごろの破壊後に放棄されました。その後ローマ都市が上に築かれなかったため、他のフェニキア・カルタゴ都市では失われた都市構造が比較的明瞭に残りました。遺跡は1952年に発見されています。

計画都市の構成

港、防壁、住宅区、店舗、工房、道路、広場、神殿が確認されます。幅広く比較的直線的な道路が格子状の区画をつくり、その内部に住宅群が置かれました。家屋には中庭、浴室、排水、床装飾などが見られ、都市計画と生活設備の水準を示します。単なる廃墟ではなく、居住、信仰、生産、交易、防御が組織された都市です。

都市と墓地の関係

アルグ・エル・ガズアニ墓地は町から1キロメートル未満の岩丘にあり、ボン岬沿岸に広がった大墓地のうち最も良好に残る部分です。墓室、埋葬品、建築は葬送慣行と社会を知る手がかりです。都市と墓地は別々の名所ではなく、生者の空間と死者の空間の位置関係を含む一つのシリアル・プロパティとして理解します。

登録基準(iii)

基準(iii)は、文化的伝統または文明への例外的な証言を評価します。ケルクアンはローマ化されずに放棄されたため、地中海世界で知られる唯一の、都市構造を体系的に読み取れるフェニキア・カルタゴ都市として評価されました。都市計画、建築、社会経済、宗教、葬送を複合的に復元できる点が重要です。

完全性・真正性

防壁、街路、住宅、公共・宗教・生産施設と墓地が、カルタゴ系都市の主要な要素を伝えます。再居住と大規模な後世建築がなかったことが真正性を支えます。ただし、考古学的復元や補強と元の遺構を区別し、発掘時の解釈が将来の研究で更新され得ることを示す必要があります。

海岸侵食と保全

海に面した崖では波と海岸侵食が遺構を脅かします。支持壁は侵食を遅らせるため設置され、墓地は囲いと常駐監視で保護されています。防護工事そのものが景観や考古層へ影響しないよう監視し、都市と墓地の視覚的・機能的関係を守る緩衝地帯と管理制度を整える必要があります。

世界遺産検定で覚えるポイント

  • チュニジア、1985年登録、1986年境界変更
  • 登録基準は(iii)
  • 紀元前6~3世紀のフェニキア・カルタゴ系都市
  • 第一次ポエニ戦争期に放棄され、ローマ化されなかった
  • 格子状街路、住宅、港、工房、神殿、防壁
  • 町とアルグ・エル・ガズアニ墓地の二構成部分

カルタゴ遺跡が複数時代の大都市であるのに対し、ケルクアンはローマ化されなかった都市構造で区別します。

旅の計画と遺跡への配慮

公開、入場、墓地へのアクセス、工事、海況、交通は変わります。遺構へ登らず、石材や土器片を動かさず、崖際の安全表示に従います。夏季の暑さと日差しにも備えます。公開前と訪問直前にチュニジア国立遺産研究所、施設、日本の外務省等の最新情報を確認してください。

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